2012/04/03

とある38才男性の話(完)

彼は38にして童貞だった。


 特にEDだとか、ゲイだとかそうゆう類のものではなかった。


 女性に恵まれなかった。というのは彼自身がはじき出した結論ではあったが


 ただ単に女性から好かれるような男ではないと、他人から見てそう思われるような男であった。


 
 世の中には金を出せば性交渉を行える場所があることを知らないわけではなかった。


 それどころか大きな期待をもってその場所に行きたいという願望すらあった。
 
 
 ただ、彼はあと一押しが出来ず、いつもその場所から逃げるように通り過ぎてしまう。
 
 
 



 
 彼の職場は事務である。朝9時に出勤し、5時には帰宅する。
 
 
 21から17年間同じ職場である。
 
 
 職場では仲のよい同僚や気のいい上司などは折らず、いつも一人であった。
 
 
 
 彼が毎日同じように机に座って、表計算ソフトにデータを入力するだけの仕事を
 
 
 誰も関心を持ったりしない。職場の人間は事務的に接するだけである。
 
  

 
 彼が家に帰宅すると、肌寒いワンルームの賃貸が待っている。
 
 
 部屋にはパソコンが一台と生活に必要なものが散乱している。
 
 
 彼がどんな生活をしているかなど、誰も興味がないことを彼自身も知っている。
 
 
 だから彼は積極的に部屋を掃除しようとはしない。
 
 彼自身が満足すればそれでいいのである。
 
 
 
 彼が職場から帰りに自宅近くのコンビニで買った弁当を机に広げ
 
 なにげなくつけたテレビも、彼が見ている情報も彼自身の頭の中では
 
 何十年と続けてきた習慣であり、意味など無い。
 
 
 食事を終え、テレビの音が耳触りになってきて、
 
 パソコンラックに移動して、パソコンの電源をつける。
 
 
 インターネットを意味も無く徘徊し、気が付けば10時を回っている。
 
 
 ネットで拾った卑猥な画像を見ながら、自慰行為を行うことも習慣であり
 
 
 そして疲れた体を風呂で洗い流し、仕度を整えて寝ることもまた意味など無い。
 
 
 
 また同じような次の日が来ることなど、自明である。
 
 
 
 
 
 彼がいつか学生だったころ、憧れていたアイドルや同級生、先輩、町で見かけた女性も
 
 
 今では自分の知らない男に孕まされて、そしてその男と幸せに暮らしていること
 
 
 それが彼の脳裏に過ぎる言葉も、今では彼にとってはなんの意味も持たない。
 
 
 
 彼の幸せというものは、自身ですら分からない。
 
 
 たとえ今出来たとしても、彼にとってはもう幸せではないだろう。
 
 
 
 
 
 あのとき、幸せになるべきタイミングだった。
 
 
 ただ、そのとき彼は神に見捨てられたわけではないし、幸せを掴めなかったわけではない。
 
 
 彼が一夜にして得られる幸せを、彼自身が一生をかけて否定し続けたからである。

 
 
 なぜ一歩が踏み出せなかったのかは言うまでも無い。
 
 
 
 彼は残りの人生を、別の幸せに摩り替えて生きていくだろう。





 
 

 (うちの研究室の職員のキモいおっさんに捧げる 2012)

 
 
 
 
 最後にこのくだらないブログに付き合っていただきありがとうございました。
 
 
 
 またいつかどこかでみなさんに会える日が来ることを願ってます。
 
 
 
 
 
 
              ――――――――マルコ・アレキサンドロイッチ・ラミウスⅡ